大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(う)280号 判決

論旨は,要するに,本件は,被告人が,被害者とされるA男からいきなり襟首を両手で掴んで締めつけられ,更にネクタイを両手で掴んで締め上げられたうえ,足蹴りにされる等の暴行を受けたので,同人の急迫不正の侵害から自己の生命,身体を防衛するため,やむを得ず同人を押しのける等した際,その顔面に手が当ったもので,本来被告人には暴行の犯意さえ認め難いのであるが,仮に被告人の行為が殴打行為であるとしても,右は刑法36条1項の正当防衛行為にあたるのに,本件をいわゆる喧嘩闘争であるとして,被告人,弁護人の正当防衛の主張を排斥した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があり,また,原判決は,急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為であるかぎり,同時に侵害者に対する攻撃的な意思に出たものであっても,刑法36条の防衛行為にあたる旨の昭和50年11月28日最高裁判所判決(刑集29巻10号983頁)を引用しながら,右判例は本件とは事実を異にするとしてたやすく正当防衛の成立を否定したが,右判例は事案によって左右されるべきものでなく,法の解釈として普遍性をもち,右の解釈を前提とする以上,本件について防衛意思の有無その他正当防衛の個々の要件の存否を具体的に判断すべきであるのに,前記のような理由で被告人,弁護人の主張を排斥した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令解釈適用の誤りがある,というのである。……中略……

1 原判決挙示の関係証拠によれば,A男は,被告人が同人の妻と不貞の関係があったとして,昭和58年9月,被告人に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起し,一方被告人は,A男が再々被告人方やその勤務先に押しかけ,嫌がらせをしたり暴力を振うなどしたとして,昭和59年3月,A男に対し損害賠償請求の反訴を提起し,両者とも弁護士を代理人として係争中であることが認められ,本件は右のような被告人とA男との確執を背景として発生したものであるところ,……中略……

2 本件の経緯としては,原判示日時ころ,原判示遠藤荘101号室前通路付近において,被告人とA男との間で若干の言葉の遣り取りがあった後,まずA男において両手で被告人の襟首を掴み,更に被告人のネクタイで首を締め上げ,あるいは足蹴りする等の暴行に及び,被告人がA男の右暴行に反撃して同人の顔面を手拳で数回殴打したものと認めるのが相当である。

そして記録を精査しても,右事実関係のもとにおいて,A男の攻撃が被告人にとって予期されたものであったと認められる証跡はなく,A男の暴行が被告人の身体に対する急迫不正の侵害にあたることは明らかであり,また,被告人の司法警察員に対する供述調書には,A男から右暴行を受け首が苦しくなり,「このままでは負ける」と思いA男の顔をげんこつで何度か殴り返した旨の記載があるけれども,本件の際被告人が110番通報を求めていることその他の諸状況を考えると,被告人がA男に対し反撃に出たのは,単に同人に負けたくないという気持や同人に対する報復の意図のみによると解するのは早計であり,仮に被告人に右のような意図があったとしても,同時に被告人において前記A男の侵害行為を排除しようという意思をも併せ有していたと解するのが自然であり,被告人の反撃行為はA男の侵害行為に対し防衛の意思をもってなされた防衛行為にあたるというべきである。

そして,本件直後A男が鼻血を出し,その顔面が腫れていたことが認められるものの(もっとも,A男の原審証言によると,その程度は仕事に差し支えるようなものではなかったことが認められる),原審証人高木和以,同遠藤袈裘次の各供述に照らしても,A男の暴行が相当に執拗なものであったことが窺われ,その暴行の態様も被告人の頸部を締めつけるという危険な態様のものであったのであるから,これに対する被告人の前記反撃行為が必要性,相当性を欠くと認めることもできない。

3 以上のとおりであって,結局,訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠並びに当審における事実取調べの結果を精査検討してみても,被告人のA男に対する前示殴打行為が違法なものであることを認めるには足りないものと言うべきである。しかるに,被告人の行為は喧嘩の際におけるA男の攻撃に対する反撃にほかならないとし,本件については闘争の経緯全般からみて正当防衛の観念を容れる余地のない場合である旨判示し,たやすく正当防衛の成立を否定し,被告人に暴行罪の成立を認めた原判決は,事実を誤認し,ひいて法令の適用を誤ったもので,これが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

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